2012年10月3日水曜日

祝!優勝 栗さんおめでとう

昨日、パ・リーグ優勝を決めた日本ハムファイターズ。

就任一年目で胴上げ監督になった栗山監督。

優勝おめでとうございます。

栗山監督と私は、ヤクルトスワローズ入団同期で、同じドラフト外で入団しました。

栗山監督は大学卒ですから、私よりも4つ年上ですが、年下にもいつも優しく声を掛けてくれる方でした。

国立大学出身の栗山監督は、見るからにスマートでセンスが良く、頭が切れるというイメージがありました。

入団当初は、二軍スタートで内野手として登録されていました。

打撃センスもよく足も速かったのですが、イップスと言われる近い距離か投げられない「病気」に悩んでいました。

とにかく捕球するまではいいのですが、その後はどこに投げるのかわからないのです。

真面目な性格の栗山監督ですから、相当悩んでいました。

当時ヤクルト二軍監督の内藤さんと全体練習が終わったあとも遅くまでマンツーマンで練習していたのを覚えています。

そんな栗山監督でしたが、内野手から外野手へ転向し、スイッチヒッターになってからはメキメキと頭角を表し、一軍のレギュラーを獲得し活躍しました。

決して器用ではない栗山監督ですが、その練習量はチームでも1、2位を争うぐらいでいつもバットを振っているひとでした。

「小さな大打者 若松勉元監督」の現役時代、私がキャンプ中の身の回りの世話をする係りをしていたとき、夜間練習が終わったあとも、若松さんの部屋に来てスイングをみてもらったり、経験談を聴いたりしている姿をよく見ました。本当に努力を惜しまない人でした。

「国立大学を卒業してプロに入り、鳴かず飛ばずで首になったら周囲にあわせる顔がない。引退する口実を考えながら、怪我しろ!怪我しろ!と自分に言いながら練習してる」という話を聞いたことがあります。

「怪我なら仕方ないな」と言われたいが為に必死に練習したのですが、その練習量が技術に結びついたとは皮肉なものです。

現役生活の後半は、持病のメニエル症候群との戦いでした。

試合中にセンターでタイムをかけて、フラフラしながらベンチに戻る姿を何度か見たこともあります。

そんな苦労人の栗山監督ですから、監督になってからもチームのスタッフや選手の気持ちがわからないはずがありまん。

一年目、それもエースのダルビッシュ投手が抜けた戦力で、チームの心を一つにまとめあげて、最大5ケーム差をひっくり返してのリーグ優勝。

今までぱっとしなかった吉川投手をエースへ成長させ、若き4番中田翔選手を周りの批判を気にすることもなく全試合で4番に起用し続け「一発で試合を決める打者」に成長させました。

ユニフォーム脱いで20年以上現場指導経験なしでの優勝というのは、キャスターや解説者として現場に足を運び、監督、コーチ、選手の話をよくよく聴いてこられたことが、今の栗山監督の財産だということです。

昨年、久しぶり栗山監督にお会いしました。

関東学院三春台小学校での講師依頼を快くお受けいただき、大盛況のイベントとなりました。

何年ぶりかにお会いした栗山監督は、以前と変わらない爽やかさと笑顔で、「きよし!元気?」と握手してくれました。(きよしとは、私のヤクルト時代のあだ名です。)

野球に対する熱い情熱と、他人に対する温かい心をバランスよく持ち合わせる栗山監督。

本当に「良い人」とは、この人のような人のことをいうのだなぁと思わせる人です。

これから始まるクライマックスシリーズを勝ち抜き、栗山監督の憧れのひと「巨人軍原監督」との日本シリーズが実現することを心から願っています。

まずは、おめでとう!栗さん