2009年11月21日土曜日

捕手論

昨日に引き続き、元メジャーリーガー「野茂英雄」の記事。

昨日の「エース論」から本日は「捕手論」。大投手と言われるエースには必ずと言っていいほど「名捕手」が存在する。それは、エースが育てる名捕手もいれば、名捕手が育てたエースもいて、それはどちらも正解の話です。

野茂投手にも何人かの捕手との出会いに恵まれた結果が「エース」と成り得たと語っている。

近鉄時代の光山捕手、私も同じ年齢ということもあり、オープン戦や先輩の引退パーティー等で何度か会話したこともありますが、物腰が柔らかく好印象の人間でした。近鉄の当時の監督である仰木さんは、野球については、とにかく頑固な野茂投手に温和なすべてを受け止めてくれる光山捕手を充てたという。

野茂投手は、メジャーリーグに行ってからも、捕手に恵まれている。ドジャースの強打の好捕手「ピアザ」。一度も受けたことがない野茂投手に対して「何でも俺に言ってくれ!やりたいようにやらすから」と言い、野茂投手のウイニングショットである「フォークボール」に対しても「絶対にワンバウンドを投げろ!絶対に止めてやるから」と言ったという。

また、レッドソックスでは、チームキャプテンのベテランで、メジャー屈指の名捕手バリテックとも出会う。「自分の事よりも、ピッチャーとチームを優先する選手で、試合に出ているときはもちろん、怪我で出ないときでも全試合をチェックする勉強家であり、謙虚で全然偉ぶらない」と評しています。

この様な“良い捕手”との出会いが「エース野茂」を支えたことも事実であります。

実は私も“捕手”です。私の捕手としての師匠は、あの「400勝投手金田正一」とバッテリーを組んでおられた「根来広光」さんです。18歳でヤクルトに入団した時の二軍バッテリーコーチが根来さんでした。当時の二軍の捕手は、ブルペンでの投球を受けることは勿論のこと、バッティングキャッチャー、新人の年は、道具の運搬や手入れ、飲み物の用意、試合に出れないときはバットボーイや審判へのボール渡し、あるときには、一軍の練習のお手伝いに神宮球場へと様々な仕事が課せられます。

私が捕手として一番最初に根来さんに教わった言葉が「捕手というものは、目配り、気配り、思いやりの気持ちで努めよ。」でした。なかなか自身の練習の時間が取れないポジションであるからこそ、目を配ることで知恵を得て、いつも目立たない部分に気を配り、思いやりをもってチームメイトと接するという言葉です。

根来さんの捕手としての教えは、企業の経営者となった今でも、自分自身の考えの柱であり、当社の経営に反映されています。

あの大投手金田の投球を、「ノーサインで捕っていた名捕手根来さん」。技術的にも精神的にも弟子の中では、一番下の選手でしたが、「目配り!気配り!思いやり!」この教えは今も忘れていません。

野茂投手の捕手論から大きく脱線して、自身の捕手論になりましたがお許しを下さい。

この話し書き出したら止まらなくなりそうです。

「みんな野球が好きだった」(集英社)著者:根来広光/小田豊二

0 件のコメント: