謙信ゆかりの名門「上杉家」は、家康によって米沢(山形県)へ移され、かっての栄光も次第に薄らぎ、江戸中期には、破綻寸前に追い込まれたという。
この危機を救ったのが、十七歳で藩主となった「上杉鷹山公」であった。
上杉家を再興させた「上杉鷹山公」のまっすぐな生き方は後々にまで言い継がれ、名君としての誉れ高い存在となっている。
「成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成りけり」
これは、上杉鷹山公の残した有名な名言です。
自らが率先垂範する姿勢を貫き、私心のない姿勢が家臣や領民の信用を生みました。
そして、上杉鷹山公は、次のような戒めを後継者に残しました。
「国家は子孫に伝えるものであって、私にしてはならない。人民は国家に属する人民であって、私にしてはならない。」
様々な具体的な戦略で、米沢藩の再興を図った上杉鷹山公ですが、その財政再建の手法には、しっかりとしたビジョンがありました。
私心のないまっすぐな生き方で信用を得て、「厄年」や「たたり」といった何の根拠もないデタラメや迷信に左右されない生き方を貫く。
そして、敬老の精神を教え自らも実践したといいます。
“私心なきまっすぐな生き方”
いつの時代でも、リーダーに求められる生き方なのだと思います。
(56.122)