「立派な人間」とは、どのような人間でしょうか?
忍耐力のある人間、謙虚な人間、他人の為に働ける人間...
いろんな「立派な人間」がいます。
ある哲学書には、次のように記されていました。
立派な人間とは、「自分の愚かさを自覚している」とありました。
人間は生まれながらにして“エゴ”に縛られている。
何でも自分に都合のいいように考える傾向がある。
その最たる例が、自己の性格や才能に対する意識である。
他の人より自分の方が立派な人間だと考えているひとは少なくないのです。
みなさんはどうでしょう?
しかし、もし自分は他人より立派な人間だと考えているとすれば、「そのこと自体に、愚かさや未熟さがある」ということです。
その理由はというと
一つは、他人が自分をどう見ているか、評価しているかについて、目がいっていない。
もう一つは、自分のことを立派だとうぬぼれている人に他人が高く評価することは無いということです。
自己評価が高い人間は、自分より弱い人には上から目線。
強い人には急に下から目線になります。
このように相手によって態度を変える人は「嫌な人間」です。
他人は、「嫌な人間に対して高い評価はしません。」
かの「ソクラテス」の演説を聞いた民衆が、「あなたほど賢い人間をみたことがない。」と言われた時に、こう答えています。
「私にあなたより賢いところは何もありません。ただ一つだけあなたより多い知識があるとすれば、自分がいかに愚かな人間であるかということを、あなた以上に知っていることくらいです。」
人から尊敬されるような立派な人間になるためには、多くの知識を身につけるよりも、自分の愚かさを知ることのほうが、はるかに大事ということの例です。