「清寥寥 白的的」(せいりょうりょう はくてきてき)
心が透き通って明瞭である状態をいいます。自我や先入観にとらわれることなく、常に真っ白な心で接することで相手の真意がわかり、自分との接点が見出せます。
意見や考え方をぶつけ合うのではなく、互いに接点を見つける心をもつ。
こんな関係からは、絶対に好き嫌いという感情は生まれません。
(出所:枡野俊明氏著「禅の言葉)
人は皆、自分が好かれる存在でありたいと願っています。
嫌われてもいいという人でも、本心は好かれたいと思っている。
当たり前のことです。
そして、嫌われたくないという意識があるために、嫌われることにとても敏感になります。
もし、誰かに嫌われていると感じている人は、一度自分のことを冷静に考えてみることです。
相手のことではありません。
おそらく、その原因は「自我の強さ」にあるのではないでしょうか?
「我が強い」という言い方がありますが、人間関係の摩擦の多くは、この「自我の強さ」によるものと感じます。
ただ、「自我」を大事にすることは悪いことではありません。
誰もが、自分を大事にする気持ちがあるし、自分の意見や考え方が正しいと信じています。
それがひいては自身に繋がっていく訳ですから、自我を大切にするのは当然でしょう。
しかし、「大切にする」と「執着する」ことは違います。
「自我」にこだわるあまり、他人の意見を受け入れない。
不平不満を口にする。
これでは、周りから嫌われて当たり前です。
人間は、不思議なことに、真っ白な心で接すれば、相手もまた素直な気持ちになります。
自分を変えようとする努力をすることです。
それでも嫌われたらその人と関わる必要はありません。
「分かってくれなかった」と思えばいい。
難しい話しですが、「自我に執着することはいけないこと。しかし、自我を無くすこともないのです。」