2010年3月13日土曜日

ナチュラルな街「江戸」

「循環型社会の形成」を叫ばれて久しい我が国ですが、徳川家康がひらいた“江戸”は、まさに理想的な「ナチュラル社会」だったようです。

江戸の社会には基本的に無駄なものや不要なものは無かったと言われています。衣食住のあらゆるものは、何度でも繰り返し修理をしながら徹底的に使い尽くし、使えなくなったら別のものに再利用したのです。そこにはその為の仕事さえ生まれたと言われます。

ごみ取り・・・町と契約し、ごみ溜めのごみを分別し、燃料・肥料・埋め立て用に分別回収をおこなう仕     事。ちなみに、江戸の人口増加に伴い、1655年に永代浦に埋め立てを開始するまでは埋め立てはなった。

蠟燭の流れ買い・・・蠟燭を燃やした時に溶けて流れた蝋を買い集め再生させる仕事。当時は武家や大店、料亭などの富裕層が蠟燭を使用しており、庶民は使っても魚油か早く寝るしか無かったようです。

灰買い・・・灰は農業用の肥料、アク抜き、洗剤や染物、酒造りの際の保存料、陶磁器の釉薬、傷薬など幅広く使われ、回収業者は灰を買い集め「灰市」で販売していた。庶民は自家用で使う物だけを残して、残りは売って生活の足しにしていたそうだ。

他にもたくさんの「再生利用業」が存在し、地域や街に根付いた生活に欠かせない商売だったのです。云わば我々の先輩方ですね。

しかし、なぜ江戸はこの様な「ナチュラル都市」だったのでしょうか?それは、生活で利用するほとんどの物が「植物由来」であり、現在のようなプラスチツクをはじめとする「ケミカル製品」でなかったからです。

人間や動物に使われたものが自然へと還り、それが再生されてまた命ののエネルギーとなる「ナチュラル・ライフ」だったのですね。

そして、もうひとつの「ナチュラル都市」になった要因は「水上交通」です。江戸はたくさんの支流が流れ、今の東京湾に注がれます。上流で収穫された農作物を下流の江戸に運び、その帰り船で飼料・肥料の材料を持ち帰る訳です。ここにも大きな条件が揃っていたのです。

やはり、昔も今も「リサイクル=物流」は言えることなのですね。この話題私自身も興味ありですので、おいおい調べて、また報告いたしますね。