2010年3月17日水曜日

武士の商法

先日、WOWWOWで放送された「武士の商法」。明治維新により武士達は職を失うが、どの様にして新しい時代を生き残り、新たな産業を生み出したのか?

特に戊辰戦争に際に幕府側に加勢し、朝敵とされた“庄内藩”の武士達は最大の“政権交代”の激動の中どの様に生き抜いたのか?

そこには、藩としての教育の歴史と武士のプライドがあったのです。刀や弓矢、槍をくわや鋤に変え荒れ果てた大地を桑畑へと開墾し、日本有数の蚕糸産業を作りあげました。(松ヶ岡開墾場)

庄内藩は、1805年に行き詰った藩財政の立て直しの必要性や乱れた武士の生活に悩む9代当主酒井忠徳は「学校を作って立派な人間を育て、武士達の心の乱れを正し藩政を立て直す」ことを目的とした「致道館」という藩校を設立しています。

この「致道館」という校名の由来は、論語にある「君子ハ学ビテ以テソノ道ヲ致ス」から来ているものです。藩主酒井忠徳は開校にあたり次の様に指針を示したと言います。

「人は生まれつき得て・不得手があるものだから、一人一人の優れている面を伸ばすようにしなさい!」

朝敵と言われ武士として人間として行き場を無くした庄内藩の武士達、その数3,000名と言われます。朝敵を言われた為に、日本の産業の礎を創り、国に貢献し再度認めてもらうその一心で作りあげた産業です。

その産業を行う中でも、「利ニテ放リテ行ヘバ、怨多シ」・・・「利益利益と利益ばかり求めすぎると、人のうらみを買うことが多い。」と教えている。

この「松ヶ岡開墾場」、20世紀末まで共同所有のまま管理続けられていたというから本当に驚きです。

激動の今日と言われますが、本当の激動が来たときに、現代の我々にかの時代の先人の様な覚悟が持てるのだろうか?

0 件のコメント: