2010年3月26日金曜日

バンクーバーパラリンピツク

過日開催されたバンクーバー冬季五輪では、フィギアスケートの浅田選手、高橋選手のメダル活躍で大変盛り上がりましたね。

さて、この五輪が閉会するとともに開催されるのがオリンピックに対して「パラリンピック」です。今回の五輪開催と同地バンクーバーで行われたパラリンピックでも日本人選手が大いに活躍しメダルも獲得しました。

様々な活躍競技の中で、特に私が注目したのは「アイススレッジホッケー」です。見事に決勝にのぼり残念ながら地元カナダに惜敗し惜しくも銀メダルでしたが、この競技で日本に初のメダルを勝ちとりました。

この「アイススレッジホッケー」、健常者が行う「アイスホッケー」と同様“氷上の格闘技”と言わる、非常に激しいスポーツです。下半身に障害を持つ方がアイスホッケーを行えるように工夫改良されたスポーツで、「スレッジ」と呼ばれる専用の橇(そり)に乗り、両手に「ストック」を持って行うスポーツです。

通常のアイスホッケーでは自身の足でスケートを蹴り進んだり下がったりするのですが、下半身に障害を持つ選手達は二本のストックに付いている“ピック”を氷上にひっかけて橇を動かす訳です。

以前、私のアイスホッケー好きの話しはしましたが、「アイススレッジホッケー」も同様に大変エキサイトする競技です。パラリンピックでは、1994年のリレハンベルより正式競技となり、日本チームは長野での大会から正式参加しています。

今回、この競技で銀メダルを獲得した同チームですが、主将の近藤隆行選手が大会表彰選手として、閉会式で表彰されました。

大会での通産4得点という活躍はもちろんの事、競技以外でも上半身だけで富士山登頂に挑み見事に成功したり、様々な講演会活動も評価されたこの度の受賞だそうです。

受賞の際の近藤選手のコメントを披露すると「この賞を本当に光栄に思う。障害は隠していてはいつもでたっても理解してもらえない。常にいろいろな場所に出て行こういう意思が認められた。」と語っています。

本当に勇気ある行動力に敬意を表したいと思います。

また、同代表チームの監督である中北浩仁監督の指導方法やリーダーシップにも共感を感じました。自身は学生の時からアイスホッケーの世界の頂点であるNHLを目指し、中学卒業後すぐにカナダに留学し、全米学生リーグにも参加しています。残念ながら選手としては、怪我の影響でプレーを断念しているが、帰国後、自身の勤務する日立製作所のサポートもあり、代表チームの監督を務めています。

彼は「アイススレッジを教えに来たのではなく、アイスホッケーを教えに来た」と言い、自身が本場カナダで学んだ戦術とトリーニングを叩き込んだといます。

また、代表選手である誇りを忘れるなという意味で、会場入りは必ずスーツにネクタイを義務付け、ホッケー大国である、アメリカ、カナダと戦うのだから練習、試合においてなるべく英語を使う事で、対戦相手の選手間の会話やベンチからの指示が理解できる様に訓練したという。

「何に向かって、何の為に、今何をするのか!」。アイススレッジホッケーの銀メダル獲得は大きな誇りとなった一つの歴史を生みましたね。

しかし、その陰で冬季のパラリンピックに出場する選手の様々な競技に関する費用は莫大で、ほとんどが個人の負担で、健常者の五輪とは比較にならないようです。

管轄する国の機関も五輪は文部科学省、パラリンピックは厚生労働省と異なっており、大変大きな問題も抱えているようです。

今後、今回のハラリンピックの日本選手団の活躍を機に、サポート体制が見直されて更に目標を高められる様になればと願いたいものです。選手の皆様に心から敬意と称賛を贈りたいと思います。おめでとうこざいました。