2012年5月7日月曜日

忠誠心について

社長は「忠誠心ある社員」を好みます。

私も同じです。

会社に対して、最大限尽くしてくれることを望みます。

しかし、この「忠誠」について、否定的な反応を見せる人もいます。

ある種の「社内政治」と結びつけて歪んだ見方をしてしまう人です。

「忠誠」について、「会社で生き残るためのしたたかさ」「昇進のためのごますり」などと否定的な見方を助長させ、拒否反応を示すのです。

この歪んだ否定的な見方をさせる最大の問題点は、忠誠の意味を「上司個人の好き嫌いを満足させる行為」と思い込んでいる点です。

忠誠の本質とは、個人を満足させることではなく、「慣れから脱皮できない自分の限界を破る」ところにあるのです。

プロ野球などでのヒーローインタビューの場面を思い出して下さい。

「ファンの声援が背中を押してくれました。」

これはまさに、「ファンへの忠誠」です。

「○○投手が頑張っていたので、何とか報いたかった。」
「連敗が続いていたので、勝利に貢献したかった。」

これも「チームやチームメイトへの忠誠」です。

企業でも同じです。

忠誠心のない社員、つまり会社と自分を気持ちの上で分けている人は、与えられた枠の限界を越えられない。

「会社は会社、自分は自分、上司は上司で自分は自分」というだけで成長しようとするのは、とてつもなく大変なことです。

この枠の中に閉じこもっているときは、自分見方だけにしがみつき、何でもかんでも「これまでのやり方」で通そうとする。

「いつものやり方」は創意的な自己啓発に決定的な弊害になります。

「忠誠心」とは、自分のやり方を時には見つめ直し、上司のやり方、上司が求めるレベルの結果を出すために、上司の視点・立場になることです。

決して「イエスマン」を好む訳ではありません。

「Iam...」・・・「覚悟を決めた自分の主張」は「忠誠心」の上に成り立つものです。