2012年5月29日火曜日

禅語「本来空寂」

「本来空寂」(ほんらいくうじゃく)

人は誰しも一人で生まれ、そして一人で死んでいく。
病を患うことも、老いていくことも、誰も変わってあげることはできません。
たとえ家族と言えども、それぞれが自分だけの人生を生きていかなくてはなりません。
それが「本来空寂」の意味するところです。(出所:枡野俊明著「禅の言葉」)

人間は、本来孤独なもの。

だからといって、すなわち寂しいというわけではありません。

「孤独」と「寂しさ」は、また別の次元であるのです。

「孤独」というのは、人間の「知」と言われています。

孤独だから、考え、他人に優しくなるものです。

一方、「寂しさ」自分の置かれた状況です。

優しさを求めても、周りに優しくしてくれる人がいなかったり、自分の気持ちを理解してくれる人や話せる人がいない。

この様な状況が「寂しさ」です。

孤独は人間の宿命かもしれません。

しかし、寂しさは自分の心持ち次第で解決することができます。

自分が優しさを求める前に、相手に優しくし、自分の気持ちを分かってもいたいのならば、先ずは相手の気持ちを理解する努力が必要です。

相手との心の通じ合いで「寂しさ」は解消できるものです。

人と人との繋がりを説く言葉が「禅語」にはいくつかあるようです。

時をみて少しづつ紹介したいと思います。