成年男子、「偉くなりたい」「偉いと思われたい」というのは共通の願望。
(最近は、このような男子が少なくなったと言われますが...)
だからといって、自分で偉いと思っていても誰も偉いと認めてくれません。
それどころか、自分が「偉い」と思っている人間は、言葉は「上から」になり、他人から「浅はか」と思われ、「嫌な人間」と「見下される」だけです。
偉いがどうかは、自分で決めることではなく、他人が評価して決めることです。
このことに、気づいていれば自ずと謙虚になるものです。
謙虚になれる方法とは、「自分の愚かさ」を自覚できるかということです。
どんな優秀な人も、どんなに賢い人も「自分の内部に人には知られたくない愚かな部分」があり、それを自分自身で認めることで、自然と謙虚になれると私は感じます。
人間には、権力欲や征服欲が強い人がいます。
総じてそのような人は、他人を押さえつけたり支配したがったりします。
そこに快感というか幸せを感じ、行動として他人に強がったりする人となります。
強さとは、その瞬間の感情を爆発させることではありません。
自身の内なる感情を抑止しできるだけの強い自制心が必要です。
偉いか、偉くないかの境目は、謙虚な人かどうか、自分の愚かさに気づいているかどうかに掛かります。