2010年4月7日水曜日

木村コーチ 逝く

先日の広島カープ戦の試合前のシートノックの際に、くも膜下出血の為に倒れ意識不明の重症だった「巨人軍木村コーチ」が亡くなりました。

2月の宮崎キャンプで元気にノックを打つ姿を見たばかりでした。

日本ハムに捕手として入団後、外野手に転向。その後広島カープへと移籍、内野手もこなしスイッチヒッターにもチャレンジし、1000本を超える安打を記録しました。

更に巨人軍へと移籍すると貴重なオールラウンドプレーヤーとして「巨人軍の自己犠牲の見本」と言われる程の職人的プレーヤーでした。

また、アテネ五輪の際には「長島ジャパン」の一員としてメダル獲得に貢献しました。ここでも限られた人数で挑む五輪の為に選手でありながら自身のポジションを理解し、裏方の仕事もまで自分から進んでおこなう姿は当時多くのスポーツ紙で報じられました。

昨年のシーズン中、激戦の結果捕手のリザーブがいなくなる事態になった巨人は、唯一の捕手経験者である当時の木村選手を捕手に起用し、見事0点で切り抜けたシーンは今でも記憶に新しいですね。

「今のチームで自分が何が出来るか?」「自分がこのチームで生き残っていく為には何をすべきか?」この事をいつも考えていないと出来ることが不可能なシーンばかりです。

捕手から外野手へ、内野もスイッチヒッターへの挑戦も、五輪チームでの裏方の仕事もこなし、弱い時代の巨人に移籍し、様々なチャンスに登場する嫌なピンチヒッター。そして、言われればどこでも守れる「自己犠牲の象徴」。

奥様と3人の子供残しての早すぎる“37歳の出発”でした。今日の日本プロ野球前6試合では半旗を掲げ、黙とうしました。今まで見た事の無い光景です。

選手は帽子の木村コーチの背番号84を書きこみ、ユニホームの袖には喪章を着けた巨人軍。今夜の阪神タイガース戦惜別の試合を0-3の見事な勝利で捧げました。

今日、木村コーチのご遺体は奥様の手によりユニホームに着替えられ帰宅の路についたそうです。あまりにも早すぎるご逝去に際し、心から哀悼の意を表します。

木村コーチの「自己犠牲の心」は後々の数多くの選手の目標となるでしょう。合掌。

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