2012年8月27日月曜日

「石井琢朗選手」お疲れ様でした。

本日付けの報道で各紙は、横浜B-広島Cで活躍した「石井琢朗選手」が、現役引退を発表すると報じた。

彼との出会いは、私がヤクルトから横浜B(当時は大洋W)に移籍した年でした。

当時石井選手は、2年目で登録は投手でした。

投手と捕手の関係ですから、ブルペンで投球を受けたり、試合でもバッテリィーを組んだ記憶があります。

投手陣の中でも群を抜く身体能力と“打撃のうまさ”でした。

投手でも打撃のいい選手はたくさんいますが、石井選手のセンスの良さは当時から折り紙付きでした。

しかし、投手としてもなかなかの制球力と切れる変化球の使い手でしたから、投手を諦めるのももったいないような気がしていました。

そんな石井選手でしたが、3年目以降野手に転校し、その後の大活躍はみなさんま知るところです。

安打数、2,450本、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回受賞。

もちろん華やかな活躍の影には、彼の努力がありました。

私も「一、二年目の選手なのに、よく個人でトレーニングするなあ」と関心しました。

本当に「よく練習する選手」というイメージが石井選手には強くあります。

その印象は、彼を使い続けてきた歴代の監督にもあるようです。

横浜Bを日本一に導いた現中日Dの権藤コーチは、「門限なし、ミーティングなし、夜間練習なし」という豪快な監督でしたが、その裏には「チームリーダーの石井の行動を選手達が見習えばなんにも問題なし」とまで言わせるものがあったからです。

キャンプ中、夜の室内練習場の灯りもと石井選手を中心に夜間練習をしていることを確認できると、当時の権藤監督「安心して飲みにいけた」と後に語っています。

横浜Bを追われ、広島Cに移籍したのも彼には良かったのだろうと思います。

広島Cは、球界NO.1の練習量を誇るチームの文化があります。

そんなチームに石井選手がとけ込めないはずはありません。

一軍登録を外れた現在も現役兼任コーチとして、多くの選手やスタッフから尊敬されているに違いありません。

来年以降、どのような立場で球界に携わるかは分かりませんが、おそらくいい指導者として今後もたくさんの石井二世を生み出していくのだと思います。

とにかく、永い間本当にご苦労様でした。

今後の活躍を心からお祈りいたします。